思えば遠くへ来たもんだ
来源:金玉米 编辑:星星
时间:2019-09-03
【歌曲介绍】
海援队的本意是日本古代的一种贸易组织,1971年,由武田铁矢、千叶和臣、中牟田俊男组成民谣演唱团体,由于组员武田铁矢是坂本龙马的大粉丝,就用”海援队“做了队名。
乐队最初人员变动很多,风格也不固定,主要受关西folk/rock的影响。后来终于确立了由武田鉄矢、中牟田俊男、千叶和臣三人组成的乐队,并在泉谷しげる邀请下来到东京发展。1972年海援队在ELEC推出大碟《海援队がゆく》博得好评。次年一曲《母に捧げるバラード》广为传唱,尤其是武田鉄矢的文字功底成为乐队最大的亮点。1974年,在发行三张大碟后,乐队离开了ELEC唱片而转投老牌的TEICHIKU唱片。年底,在1974年度的红白大赛上出场。按理说乐队从此应该走上了康庄大道,然而事情却正好相反。1975年开始,乐队流年不利,人气低迷。事务所发不出钱,武田那些版税所得也已消耗殆尽,只能靠老婆出门打工养家糊口。终于,1977年,武田出演电影《幸福の黄色いハンカチ》(幸福的黄手帕)再次一炮而红,乐队也顺利发行了新唱片。1979年,武田出演日剧《3年B组金八先生》,乐队创作的主题歌《赠る言叶》大卖。海援队终于一举奠定了他们的人气,成为了日本的经典乐队之一。1982年底,乐队在武道馆举办演唱会后宣布解散。
【日语歌词】
演唱:海援队
思えば遠くへ来たもんだ
踏切(ふみきり)の侧(がわ)に咲(さ)く
コスモスの花ゆらして
货物列车(かもつれっしゃ)が走り过(す)ぎる
そして夕阳(ゆうひ)に消(き)えてゆく
十四(じゅうよん)の顷(ころ)の仆はいつも
冷(つめ)たいレールに耳をあて
レールの响(ひび)き闻(き)きながら
遥(はる)かな旅路(たびじ)を梦见てた
思(おも)えば远(とお)くへ来(き)たもんだ
故郷离(はな)れて六年目(ろくねんめ)
思えば远くへ来たもんだ
この先(さき)どこまでゆくのやら
筑后(ちくご)の流れに
小鱼钓(こうおなつ)りする人の影(かげ)
川面(かわも)にひとつ浮かんでた
风が吹くたび揺れていた
二十歳(はたち)になったばかりの仆は
别(わか)れた女(おんな)を责(せ)めながら
いっそ死のうと泣いていた
恋は一度と信じてた
思えば远くへ来たもんだ
今では女房子供持(にょうぼうこどもも)ち
思えば远くへ来たもんだ
あの顷恋(ころこい)しく思い出す
眠(ねむ)れぬ夜に酒(さけ)を饮(の)み
夜汽车(よぎしゃ)の汽笛(きてき)を闻くたびに
仆の耳に远く近(ちか)く
レールの响(ひび)きが过(す)ぎてゆく
思えば远くへ来たもんだ
振(ふ)り向(む)くたびに故郷は
思えば远くへ来たもんだ
远くなる様(よう)なな気がします
思えば远くへ来たもんだ
ここまで一人で来たけれど
思えば远くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら
【中文翻译】
思えば遠くへ来たもんだ / 一路走来这么远
歌:武田鉄矢(海援隊) 作词:武田鉄矢 作曲:山木康世
随风摇曳的大波斯菊 盛开在铁道口旁
载货列车飞驰而过 渐渐消失在夕阳中
十四岁时的我 总把耳朵贴在冰冷的铁轨上
倾听着铁轨的回声 梦想着遥远的旅程
一路走来这么远 离别故乡已六年
一路走来这么远 今后又将往何方
筑后川的河面 映出一个垂钓者的身影
微风拂过水面 倒影在水中轻轻摇动
刚满二十岁的我 埋怨着分了手的女人
痛哭着想去寻死 也曾这样相信过爱情
一路走来这么远 如今也已有妻儿
一路走来这么远 想起那时仍怀恋
不眠之夜独自小酌 传来夜行列车的汽笛声
时在天边 时在耳畔 铁轨的回响逐渐远去
一路走来这么远 回首遥望的时候
一路走来这么远 似乎已看不清故乡
一路走来这么远 只身前行到如今
一路走来这么远 今后又将往何方